世界遺産第1号である12件! 世界で最初の世界遺産

現在1000を超える遺産が登録されている世界遺産ですが、世界遺産の登録が始まったのは40年以上も前の1978年のことです。1978年には自然遺産4件、文化遺産8件の12件が世界遺産リストに登録されました。今回はそんな世界で最初の世界遺産12件を紹介していきます!

スポンサーリンク

イエローストーン国立公園

グランド・プリズマティック・スプリング

イエローストーン国立公園はアメリカ合衆国のアイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州にまたがる国立公園で、その大きさは四国の半分ほどにもなる8980㎢もあります。イエローストーン国立公園は1872年に国立公園に指定された世界初の国立公園です。

イエローストーン国立公園には、バクテリアの影響により色が赤、青、緑、黄、オレンジといった色に自在に変化するアメリカ最大の熱水泉であるグランド・プリズマティック・スプリングや、約80分に一回、約4万ℓもの熱湯を50m近くまで噴き上げる間欠泉であるオールド・フェイスフル・カイザーなどの地熱による観光スポットや、公園の約9割を占める針葉樹の森といった自然、グリズリーやヘラジカ、アメリカバイソンといった多様な生物など、独特な自然景観となっている。

イエローストーン国立公園は、「ウィルダネス(手つかずの自然)」という概念をもとに自然環境が維持されています。例えば、国立公園内で山火事があった場合にも人間が消火活動をすることなく、自然の回復機能に任せます。このような人間の手を極力入れることなく自然を維持する方法は、世界的にも大きな注目を集めています。

メサ・ヴェルデ国立公園

クリフ・パレス

メサ・ヴェルデ国立公園は、アメリカ合衆国のコロラド州にある、12世紀に築かれた住居群の遺跡です。スペイン語で「緑の台地」意味するメサ・ヴェルデの住居群は、先住民のアナサジ族によって築かれました。

アナサジ族は1世紀ごろからこの土地に住み始め、はじめは竪穴住居で暮らしていました。写真にあるような断崖にある岩窟住居は12世紀に築かれます。外敵からの防衛のためと考えられていますが、本当の理由は現在のところ解明されていません。いくつかある集落群の中で最大のものであるクリフ・パレスには、220の部屋と23の円形地下礼拝所があり、200~250人が暮らしていました。しかし、14世紀になると住居群は突然放棄されてしまします。そして、この放棄された理由についてもまだ明らかになっていないそうです。

スポンサーリンク

シミエン国立公園

ゲラダヒヒ

シミエン国立公園はエチオピア連邦民主共和国、アムハラ州にある国立公園です。シミエン国立公園はシミエン山地を対象とし、広さは220㎢ほどになります。シミエン山地は標高4620mのアフリカ第4の山、ラスダシャン山などの高山が続く山岳地帯であり、「アフリカの天井」の異名を持ちます。

シミエン山地は、急峻、一日の寒暖差が激しいといった非常に厳しい環境であるため、生息できる動植物が限られています。そのため、ワリアアイベックスやゲラダヒヒといった独特で貴重な動物が生息しています。

シミエン国立公園がある地域では農耕が行われており、人口の増加による農地の開拓や、密猟などによって生態系が破壊されてしまい、1996年には危機遺産となりました。しかし、徐々に改善し、2017年には危機遺産リストから除外されました。

ラリベラの岩の聖堂群

ギョルギス聖堂

ラリベラの岩の聖堂群は、エチオピア連邦民主共和国のラリベラにあるエチオピア正教会の岩窟聖堂群です。

4世紀にエチオピアにキリスト教が伝わり、その後、エチオピア正教となりました。12世紀末になると、イスラム教徒によりエルサレムが支配されていて信者たちはエルサレムへの聖地巡礼を行うことができませんでした。そこで、当時エチオピアに栄えていた王朝であるザグウェ朝の7代国王ラリベラが、都を「第2のエルサレム」にしようと岩窟聖堂の造営をしました。11の聖堂群は凝灰岩を掘り抜いて作られており、最大の見どころのギョルギス聖堂は、一枚岩を高さ12m、幅12m、奥行き12mの十字型に掘りぬかれた聖堂となっています。

ナハニ国立公園

マッケンジー山脈

ナハニ国立公園はカナダのノースウエスト準州にある国立公園です。ナハニ国立公園には、マッケンジー山脈や、ナハニ川、ヴァージニア・フォールズといった手つかずの雄大な自然が残っています。ナハニは先住民族のデネ族の言葉で「精神」を意味しています。

ナハニ国立公園は高緯度のツンドラ地帯でありながら、穏やかな気候であり、様々な野生動物が生息しています。また、ナハニ川上流は流れがゆったりしているのに対し、落差90mを誇るヴァージニア・フォールズを過ぎると急流となるなど、場所によって様々な自然の表情を見ることができます。

ランス・オー・メドー国立歴史公園

ランス・オー・メドー国立歴史公園はカナダ、ニューファンドランド島の最北端にある考古遺跡です。ランス・オー・メドーは英語とフランス語の混成で、「草原の入り江」を意味しています。

ランス・オー・メドー国立歴史公園にある考古遺跡とは、ヴァイキングの集落跡です。ランス・オー・メドー国立歴史公園が発見されるまで、ヨーロッパ人にとっての初のアメリカ大陸発見は1492年のコロンブスによるものだと思われてきました。しかし、ランス・オー・メドー国立歴史公園の発見により、実はそれよりも500年以上前に、北欧のスカンディナビア半島周辺から船で各地へ乗り出したノルマン人である、ヴァイキングが渡来していたことがわかったのです。

ランス・オー・メドー国立歴史公園では、ヴァイキングの集落跡である住居跡や製材所、鍛冶場、青銅器や鉄器などが発見されており、現在は3つの建物が復元されています。

ガラパゴス諸島

ガラパゴスゾウガメ

ガラパゴス諸島は、エクアドル共和国の19の島々からなる群島です。ガラパゴスはスペイン語で「ゾウガメ」を意味しています。また、正式名称はコロン諸島で、スペイン語で「コロンブスの群島」を意味しています。

エクアドルの沖合から西に約900km離れた場所に位置するガラパゴス諸島は、大陸から隔絶された環境下や、大型哺乳類などの天敵がいなかったと言った理由から、野生動物たちが独自の進化を遂げました。ガラパゴス諸島は島ごとにゾウガメやイグアナ、フィンチなど、同じ種でも違った特徴をもちます。このような動物たちを観察したチャールズ・ダーウィンは、生きものは共通の先祖から異なる環境によって進化の方向性が変わっていくという進化論の着想を得ました。このダーウィンの進化論により、ガラパゴス諸島は世界的に知られることとなったのです。

ガラパゴス諸島の島々では、植物の3分の1、繁殖鳥類の半数、爬虫類のほぼ全てが固有種だとされています。

スポンサーリンク

キトの市街

キトの市街は、エクアドル共和国の首都キトの旧市街を対象とした世界遺産です。キトはアンデス山脈の中腹に位置した標高2850mの高地にある都市です。

キトの街にははじめ、先住民のキトス族が暮らしていました。しかし、15世紀にインカ帝国の支配下となり、インカ第2の都市として発展します。16世紀になるとスペイン人が侵略し、都市は破壊されてしまします。そして、1543年にスペインの植民地支配開始により教会や修道院が多く建設され、キリスト教布教の拠点となりました。

キトの旧市街には、16~18世紀に築かれた教会や修道院が30以上残っていて、保存状態の良好さが高く評価されています。

クラクフの歴史地区

ヴァヴェル城

クラクフの歴史地区は、ポーランド共和国南部の都市クラクフの旧市街を対象とした世界遺産です。

クラクフは11世紀初頭から17世紀のワルシャワ遷都まで600年間ポーランドの首都として繁栄しました。13世紀にはモンゴル軍により街が破壊されますが、再建され14世紀には最盛期を迎えます。旧市街にはその頃から残る、ヨーロッパ最大級の広さを誇る中央市場広場や、広場中央にある長さが100mほどあるルネサンス様式の織物会館、広場東に建つレンガ造りゴシック様式の聖マリア教会、旧王宮であるヴァヴェル城など、歴史的な建造物が多く残っています。

ヴィエリチカとボフニャの王立岩塩坑

聖キンガ礼拝堂

ヴィエリチカとボフニャの王立岩塩坑は、ポーランド共和国マウォポルスカにある世界最古の岩塩採掘場です。

ヴィエリチカ岩塩坑では13世紀に本格的な採掘が始まりました。14~16世紀の最盛期には、岩塩坑により得られる収入が、ポーランド王国の国家財源の3分の1を占めました。しかし、コストの問題や洪水が起きる可能性があることから、商業採掘は中止され、現在は観光地となっています。

ヴィエリチカ岩塩坑にはかつて鉱山労働者たちが岩塩に彫った彫刻が多く残されています。また、採掘後の空間を利用して作られた礼拝堂がいくつかあります。その中でも最大の聖キンガ礼拝堂は101mの空間の中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をモチーフとしたレリーフや、塩の結晶でできたシャンデリアなどを見ることができます。

アーヘン大聖堂

アーヘン大聖堂はドイツ連邦共和国のアーヘンにある大聖堂です。

アーヘン大聖堂は、フランク王カール大帝により786年に宮殿教会として建設が開始され、805年に完成しました。また、アーヘン大聖堂では936年から1531年まで、歴代の神聖ローマ皇帝30人の戴冠式が行われました。ビザンチン様式、ドイツ・ロマネスク様式、ゴシック様式など複数の建築様式が合わさった構造、八角形の中心部を十六角形の周歩廊が取り囲む集中式の構造など、荘厳な美しさを誇っています。

アーヘン大聖堂にはカール大帝の上半身の像が展示されていて、像の内部にはカール大帝の頭蓋骨が納められ、聖遺物として信仰されています。

ゴレ島

ゴレ島はセネガル共和国の首都ダカール沖合の島です。かつては黒人奴隷を主要商品の一つとした三角貿易の拠点であり、負の遺産となっています。

1444年にポルトガル人に発見されて以降、奴隷貿易が廃止された1815年までポルトガル、オランダ、イギリス、フランスと、次々と変わる植民地支配により多くの奴隷がアメリカ大陸へと連れて行かれました。ゴレ島に残る「奴隷の家」では2.6m四方の狭い部屋に、船の出航を待つ奴隷たちが20人、鎖でつながれて詰め込まれていたと言われています。そして、アメリカ大陸に連れて行かれた奴隷たちはコーヒーや砂糖、たばこ、綿花などの農場で、労働を強いられました。

現在、ゴレ島には奴隷の家や、歴史博物館として使われているエストレ要塞が残っており、奴隷貿易の跡を見ることができます。

まとめ

世界で最初の世界遺産12件について紹介してきました。

よく知られている場所からそうでない場所までありますが、世界遺産はすべて、遺産としての価値はどれも同じくらい高いですが、最初に登録されたものであると聞くと少し特別感がありますよね。

いろいろな視点で世界遺産を見ると非常に面白いですね。

世界に3つしかない人類の傑作!! 登録基準(Ⅰ)「創造的な才能を示す傑作」のみで登録されている世界遺産

にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ
スポンサーリンク